鎌倉の海

一人暮らしの母に関する覚書き。タイトルおよび記事中の写真は内容とは関係ありません

転院(その3)

12時半、介護タクシーの方が到着。看護師さんに手伝ってもらって着替え、車いすに移乗。ロビーで待機していただいていたダリア叔母さん、アヤメ叔母さんと合流。そのまま駐車場まで一緒に行く。タクシーの運転手さんがいろいろ察してくれて、自動車の準備もあるから、まだお話をしていて構いませんよ、と言ってくださる。タクシーに乗らず帰るアヤメ叔母さんも、10分以上一緒にいられたのでよかった。

運転手さんが、ここから高橋病院まで、このルートとこのルートがあって、距離はこちらの方が短いのですが、恐らく混んでいると思うので、こちらの方が早いのではと思うのですが、……とお伺いを立てに来た。そこで、「桜がよく見える道を選んでください」と答える。運転手さんは笑って「わかりました、任せてください」という。いい人だ。

私以外の付き添いの人(つまりダリア叔母さん)は高橋病院につくまでと一応言われていたのだが、病院に着けば恐らくいろいろと手続きなどがあるだろう、なので、その間ずっと母のそばにいてくださいませんか、まさかそこで帰れとは言われないと思いますし、言われたら帰ることにしましょう、と密談を交わす。

実際、病院に着いたら次々といろいろと説明を受けたり、書類にサインをしたりしなければならず、母のことを気にしている余裕がない。叔母さんがいてくれて助かった。母は母で部屋へ行く前に検査などがあり、ここで1時間ほどかかる。なるほど、外来が14時半からで、その前に手続きを済ませたかったから13時半までに来るよう言われたわけか。昼食が中途半端になるのもやむを得ない理由があったのだ。

ところで、何枚もの書類に私の名前と続柄を記入しなければいけなかったのだが、何人もの人が、「ここにお名前と『ぞくがら』を記入してください」とおっしゃる。一人や二人ではなく、苦笑。正しくは『つづきがら』だよー。

ようやくもろもろ手続きが済み、部屋へ移動する。この時も何も言われないのをいいことに、私と叔母さんと二人で部屋まで行く。初日ということもあり、ナースステーションの向かい側の個室。窓も大きく、さっぱりした部屋だ。日本病院ではタオルや歯ブラシ、コップ、靴などを持ち込んだが、高橋病院ではすべて支給されるため、持ち込み品は基本的には何もない。移動の時に着ていた服も、入院服に着替えた後は返却された。

入院する原因となった胆管炎などの病気はほぼ治っているから、あとはリハビリを頑張ってね。普通に歩けるようにならないと、家には帰れないからね、と何度も伝える。以前と同じように歩けるようになるのは相当たいへんだろう。そして歩けるようになったとしても、家に戻せるかといえば、恐らくそうではないのだが、今はそれを気にしても仕方がない。とにかくリハビリだ。

本人は「歩けるわよ。本当は、歩けるの」と言う。その言葉を、もう少し気にするべきだったが、気持ちだけでも前向きでいてくれれば回復も早いだろう、とこの時は思った。
(2021/5/1 記)
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