鎌倉の海

一人暮らしの母に関する覚書き。タイトルおよび記事中の写真は内容とは関係ありません

転院(その2)

入院前から、世の中は新コロナが猛威を振るっているということを理解できていなかった。そのような病気が流行して、大勢の人がかかっている、ということは、テレビのニュースや新聞で見てちゃんと知っている。だが、そのことと、家に来た息子(自分)が、家にいる間ずっとマスクを取らず、食事もせず、お茶も飲まないこと、以前は時々近所の人が家を訪ねてくれたのに、最近は誰もやってこないことがリンクしていない。

毎回説明すると、その時は一応わかったとは言うのだが、次に行った時にはまた、今日は食事をしていくでしょう、と言う。この家では飲食は一切しませんよと言うと、どうしてと怪訝な顔で訊く。

そんな状況だったから、看護師さんなりから説明はあっただろうが、誰もお見舞いに来ないことを理解できてはいないだろう。そのため、寂しく、悲しく思っているのではないか。

そのことを懸念していたのだが、当日はそんな様子がなかったので、安心する半面、疑問でもあった。ところが話をしているうちに事情がわかった。入院して約三週間経つのだが、三週間も入院していたとは思っておらず、数日程度だと思っていたようなのだ。三週間経つと行ったら驚いていた。

また、病院を出たら自宅に帰るものと思い込んでいたようで、家に帰ったら、夕食に食べるものはあるかしら、と心配している。ベッドから起き上がれず、トイレも脇の簡易トイレで済ませている状態なのに、どうやって家に帰るつもりなのか、誰が夕食の支度をし、それをどうやって食べるつもりなのか、という思いと、家に帰りたいであろう本人の気持ちを考えると、つらいものがある。

家には帰らない、今度は高橋病院に入院するのだというと、驚いて、そこには何日くらい入院していればいいの? と訊く。とにかく自分で歩けるようにならないと、家に帰ってもトイレにも行けないからね、と答える。それはそうね、と寂しそうにうなずく。

※3月23日の分に認知症に関して追記した。

(2021/4/30 記)
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